【冤罪?】43年間背負った『死刑囚』の肩書が無くなる!?袴田事件の再審が決定!

1966年6月30日に味噌会社専務宅で強盗放火殺人事件が発生。
同年8月 容疑者として袴田巌(当時30歳)が逮捕された。

当初は無実を主張したが、1980年12月12日 最高裁判所で死刑確定

その後、2014年に釈放となったが、逮捕から57年、死刑確定から43年たった現在も袴田巌氏(87歳)は『死刑囚』として生活をされています。

しかし、2023年3月13日 東京高裁は、再審開始決定!

これにより袴田巌氏が死刑囚でなくなる可能性が出ていました。

それどころか、無罪の可能性もあります。

今回は、この袴田事件の振り返りと、再審について調べてみました。

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袴田事件とは?

ニュース概要

1966年6月30日午前2時、静岡県清水市の味噌製造会社専務宅が全焼するという火事が発生。
焼け跡から専務(41) 妻(38) 次女(17) 長男(14)の4人が刃物でめった刺しにされた死体が発見

警察は、味噌工場の従業員であり元プロボクサーであった袴田巌氏を犯人であると決めつけて捜査。事件発生から約2ヶ月後の8月17日に袴田巌を逮捕しました。

自白の強要

当初、袴田巌氏は否認をし続けていました。
しかし、逮捕後連日連夜、猛暑の中で取調べを行い、おまるを取調室に持ち込んでトイレにも行かせない状態にしておいて、袴田巌氏を自白に追い込みました

その結果、9月6日に自白。

自白調書は45通にも及んだが、弁護人が袴田巌氏に会った時間は30分程度でした。

自白内容

自白の内容は、日替わりで変わり、当初は専務の奥さんとの肉体関係があったための犯行などと述べる。

しかし、最終的には、金がほしかったための強盗目的の犯行であるということになっていました。

死刑確定までの経緯

事件発生から1年2ヶ月後、味噌のタンクから血痕の付いた衣類5点が発見された。

その血痕は被害者のもの一致。

この衣類5点は犯行時、袴田巌氏が着用していたものと断定。

この衣類が証拠となり、有罪が確定。

その後、1980年11月19日、最高裁が上告棄却し、袴田巌氏の死刑が確定。

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再審までの経緯

2023年3月13日 東京高裁は、再審開始決定しましたが、それまでの経緯を振り返ってみます。

キーワードは『味噌タンクにあった衣類5点に付いた血痕』です。

1981年4月20日に第1次再審請求を申し立てたが2008年3月24日、最高裁が特別抗告を棄却。
しかし、
2008年4月25日 弁護団は、第2次再審請求を静岡地裁に申立てました。
当時、最新のDNA鑑定の結果、被害者でも袴田巌氏でもない第三者の血痕だった可能性が浮上。
弁護団は、5点の衣類の味噌漬け実験の結果を新たな証拠の一つとして裁判所に提出。

2014年には静岡地裁は再審を決定する。

しかし、

2018年 東京高裁は「当時のDNA鑑定は信用ができない」として、静岡地裁の再審決定を取り消しました。
ですが、その後、東京高裁は「血痕の色」の審理が不十分としました。

理由として、静岡地裁は1968年時点で『味噌タンクから発見された衣類には赤い血痕が付いていた』とあるが、味噌タンク内に1年2ヶ月も浸かっていたのに、「本当に赤色になる?」という点でした。

これにより2020年味噌に血痕を浸ける実験が行われた。

実験結果に弁護側は『黒っぽくなる。もし赤みが残っていたら袴田巌氏の逮捕後に誰かが入れた可能性が高い』と主張。

検察側は『1年2ヶ月浸かっていても赤みは残る』と主張。

今回東京高裁は弁護側の意見を取り入れ『再審決定』に至りました。

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【無罪?】43年間背負った『死刑囚』の肩書が無くなる!?袴田事件の再審が決定! まとめ

【無罪?】43年間背負った『死刑囚』の肩書が無くなる!?袴田事件の再審が決定!ということで、袴田事件と再審について調べてみました。

調べていて感じたことは、「東京高裁は証拠品が捏造された可能性が高い」と感じているのはないでしょうか?

しかも、もし捏造されてたら袴田巌氏の逮捕後の捏造になるので、当時の捜査関係者の犯行の可能性を視野に入れているものだと考えられると思いました。

また、新たな展開があれば記事を更新していきます。

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